ミシン博物館

貴重なミシンのご案内

ANKER(アンカー)

ドイツ製 大正~昭和初期

ドイツより輸入されて日本で使用された初めてのミシンといわれています。

シンガー本縫い家庭用ミシン

アメリカ製 1900年代初期

下糸機構でロケットボビンと呼ばれ、現在のボビン・ボビンケースの原形。
当時は釜の機能も兼ねていた。

ASIAミシン

橋和田ミシン商会(現㈱近畿ブラザー)オリジナル 1946年代

橋和田ミシン商会(現㈱近畿ブラザー)がメーカーとして製造したミシン。
教材用カットミシンとして学校などに数多く納品していました。
穴のあいているミシンがありますがその穴は学校の生徒達にミシンの構造を教えるために開けていました。

直線家庭用ミシン

日本ミシン製造㈱(現ブラザーミシン)1947年代

昔に日本で広く使われていたミシンです。当時はまだ高価なモノだったため所有している人は少なかったみたいです。

近畿ブラザーの歴史

店頭前
大正13年

奈良県桜井市(現名称)にてシンガーミシンの販売店として開業。
販売店と洋裁学校を運営。
大阪の富田林・京都内浜(現京都駅近辺)へ移る。

昭和6年

大津市中京町(現 中央1丁目2-6)へ移転
屋号を橋和田ミシン商会とする。

シンガーミシンより優秀販売店として
表彰。店頭看板を贈呈される。

昭和16年

戦争のためシンガーミシン輸入禁止
戦争中滋賀県の嘱託技師として県の被服工場をまわり、ミシンの修理点検をしていた。

昭和18年

販売も禁止

昭和21年

ブラザー(本社:名古屋)との契約でミシン販売を再開
アジアミシン(商品名)を本店工場にて製造。
当時1ヶ月に5台前後しか入手できなかった。
これより10年間約1万台製造、販売をする。

株式会社橋和田ミシン商会とする。

昭和35年

滋賀ブラザーミシンを設立
ASIAミシン

館長のごあいさつ

我が人生のミシン博物館

私の父(橋和田樽治郎)の青年期(大正時代)からミシン販売を始め、私が生まれ、そして私の子供たちが大きくなれたのもミシンのお蔭。

ミシン販売・修理をさせてもらっていたからこそ、戦争も乗り越え、今ここに私も生きていられるのだと感謝し、倉庫に眠っていたミシンを1つ1つ磨き、油をさして並べてできたミシン博物館です。

父との思い出のミシンや高度成長期、私がまだハツラツとミシンを毎日何十台も販売車に乗せて滋賀県中を走りまわっていた頃のミシンや月間250台も売って「販売台数日本一」でブラザーから10年間にわたってもらった数々の時代のミシン等を並べております。じつは並んでいるミシンはその時代時期で新商品・新型がでて在庫で残ってしまったミシンばかりで、初めから博物館を作ろうと思って残していたわけではないんです。

しかし私にとっては人生そのもの。

いやいや、父樽治郎のDNAより生め込め込まれた、
血・骨・肉体に匹敵するものかもしれません。

そんな私 橋和田證 の人生の”ミシン博物館”なのです。
しかし、年代ごとに並べてみるとこれがなかなか貴重なものもあり、
ミシンの変化もわかり、ミシンの歴史に近畿ブラザーの歴史が重なりあっているのが良くわかるのです。

少しでも興味をもって頂けたら、滋賀県のみなさん、是非お越しください。
全国のみなさんも京都・奈良に観光でお越しのおりに是非お立ち寄り下さい。
JR京都駅から大津駅までJRなら電車で約10分、JR大津駅から徒歩10分で当社です。3F「ミシン博物館」でお待ちしております。

ミシン博物館 館長 橋和田 證

株式会社近畿ブラザー 受付時間9:00~18:00 日曜・祝日・年末年始を除く 0120-029-734