本店2階に常設してあります。
ただし、ご見学いただくには事前にご予約が必要となります。
悪しからず、ご了承ください。
ドイツより輸入されて日本で使用された
初めてのミシンといわれています。
下糸機構でロケットボビンと呼ばれ、
現在のボビン・ボビンケースの原形。
当時は釜の機能も兼ねていました。
橋和田ミシン商会(現㈱近畿ブラザー)が
メーカーとして製造したミシン。
教材用カットミシンとして学校などに
数多く納品していました。
穴のあいているミシンがありますが
その穴は学校の生徒達にミシンの構造を
教えるために開けていました。
昔に日本で広く使われていたミシンです。
当時はまだ高価なモノだったため
所有している人は少なかったみたいです。
奈良県桜井市(現名称)にて
シンガーミシンの販売店として
開業。
販売店と洋裁学校を運営。
大阪の富田林・京都内浜
(現京都駅近辺)へ移る。
大津市京町
(現・中央1丁目2-6)へ移転。
屋号を橋和田ミシン商会とする。
シンガーミシンより、
優秀販売店として表彰を受ける。
その功績により、
店頭看板を贈呈される。
戦争のためシンガーミシン輸入禁止!
戦争中滋賀県の嘱託技師として
県内の被服工場をまわり、
ミシンの修理点検をしていた。
販売も禁止!!
ブラザー(本社:名古屋)との
契約でミシン販売を再開する。
アジアミシン(商品名)を
本店工場にて製造。
当時1ヶ月に5台前後しか
入手できなかった。
これより10年間に約1万台を
製造販売する。
株式会社 橋和田ミシン商会とする。
滋賀ブラザーミシンを
設立。
橋和田 樽治郎(はしわだ ならじろう) 自画像
我が人生の博物館
私の父(橋和田樽治郎)の青年期(大正時代)
私が生まれ、そして私の子供達が大きくなれたのもミシンのお蔭。
ミシン販売修理をさせて貰っていたからこそ、
戦争も乗り越え、今ここに私も生きていられるのだと感謝し、
倉庫に眠っていたミシンを1つ1つ磨き、
油をさして並べてできた
滋賀県で唯一の「ミシン博物館」です。
父との思い出のミシンや高度成長期の時代、
私がまだハツラツとミシンを毎日、
何十台も販売車に乗せて
滋賀県中を走りまわっていた頃のミシンや、
月間250台も売って「販売台数日本一」となり、
ブラザーから10年間の長きにわたり戴いた、
数々の時代のミシン等を並べております。
実は並んでいるミシンは、その時代時期で
新商品・新型が発売になり、
在庫として売れ残ってしまったミシンばかりで、
初めから博物館を作ろうと思い残していた訳ではなかったのです。
しかし私にとっては人生そのもの。
いやいや、父樽治郎のDNAより生め込まれた、
「血・骨・肉体」に匹敵する物かもしれません。
そんな私 橋和田證の 人生の”ミシン博物館” なのです!
しかし、年代ごとに並べてみるとこれが中々に
貴重な品々もあって、ミシンの変化も理解でき、
「ミシンの歴史」と「近畿ブラザー」の歴史が
重なり合っている事が良くわかるのです。
少しでも興味をお持ち頂けたら、滋賀県の皆さん、
全国の皆さんも京都・
JR京都駅からJR大津駅まで電車で約10分、
JR大津駅から徒歩約10分で当社です。
2階の「ミシン博物館」でお待ちしております。
ミシン博物館 館長 橋和田 證